あまりにも久々すぎて、どういうテンションでどういう距離感でこの場所に文章を書いていたのか、忘れてしまったけれど、あまりに久々にゆっくりとした朝に、いろいろなことを思い出したり思ったりして、書いてみる。
自宅の屋上は、屋根裏から上がる二帖程のとても小さな空間なのだが、四方を1m程度の塀に囲まれ、寝転ぶと空が切り取られて、宛ら小さなタレル空間になる。
残暑厳しい8月も末、屋上もじりじりとしていて、陽を除け隅の方に寝転んだ。
眩しくて目を閉じていると目の前が真っ赤になった。
目を開けると真っ青だった。
つぶさにものを見つめたい。
決して留めることのできない時の断片を、一瞬でも手の平で掬いたい。
そしてまた流れていくそれを凝視したい。
削ぎ落とし切ったところから、今は少し荷物が重い。
少しくらいのことではもうだめで、斧を振り下ろすくらいのことでないとなかなか。
折り返し地点には来ていると思う。
まずはひとつの区切りに向けて、ヒタヒタと進む。
こればっかりは、エイヤッ!でできるものではなくて、やはりそう、ヒタヒタと上手く進めねばならない。
そんなに大きなものは要らない。
小さな、ことの断片を、ぽろぽろと拾うことができれば。
でもそれは、すべての一部であって、すべてを包括している。
それは、そう、風景ということ。